2011年9月28日水曜日

俺のヒーロー

我こそはと、胸張って言うが
父親こそが目指すべき男であり
超えるべき唯一の対象であり
ガキのころから、俺のヒーローなのだ。

周囲の親父世代の人たちからは
お前の親父はどうのこうのと
言われるが、息子の俺にとって
それはもっとも頼もしく
ただひたすら、家族を支えてきた男。

顔が広いわけでもない
どこぞのお偉いさんたちとの人脈を持っているわけでもない。
人のためにならないことはしないし関わらないと
無意味に群れることもなく、人付き合いも苦手な父。

俺の一番古い記憶が2歳の時なのだが
冬の時期に、俺を抱き上げ
農作業で石のようにゴツゴツして、ひび割れた手で
俺の顔を撫でくりまわし、それが痛くて泣いた記憶。

思えば、なんと逞しく偉大な手だろうと思う。
今の俺は当時の親父よりも年を重ねているが
自分の手を見ての、何一つ苦労することなく
メシを食い、湯に浸かり、温かい布団で眠り
高校大学まで行かせてもらっただけのことはある
苦労知らずのきれいな手をしている。

こんなことは父のまでは何一つ思っているような素振りはしないが
32歳になっても、俺のヒーローは親父なんだ。
なんか文句あるか?

2011年9月27日火曜日

男女の関係は掛け算

私事のエントリーで大変恐縮で、自分の恥を晒すようですが
過去の恋愛遍歴を振り返ってみると
通り過ぎて行った恋人たちと、足し算引き算の関係しか
築けていなかったように、今は思う。

10代後半から20代前半までは
年上の恋人に甘え、依存して
相手の資質や性格を理解せずに
年上の恋人は僕のそんな部分にヤキモキして
互いに足し算と引き算の恋愛しかできず
恋という素晴らしいステージ中で
互いの資源というか、人間性を膨らませ磨くことが出来なかった。

20代後半から現在に至っては
もう自分は大人なんだからと、自立を重視し
相手に合わせ、相手を不快な思いをさせまいと
相手に対して、積み重ねて積み重ねて
積み木を積み上げるように足し算の関係でしかなかった。
ただ、頭上高く一列に積み上げたものは非情に脆いものだった。

そんな浅はかな恋しかして来なかっただけに
今だに独身であることも、致し方ない。
結婚していたとしても、離婚という恥の上塗りをしていたに違いない。

恋や愛というのは、お互いの足りないものを補うのではなく
お互いが持っている良さや魅力、そして与えられる幸せを
掛け合わせて磨き上げ、2倍にも10倍にも素晴らしいものであると
改めて、今思う。

今後はそのような関係を築ける女性と出会える努力を
僕自身していきたいなと思う。

好きなだけでは乗り越えられなかった何かが
今やっと分かったと思う。

携帯メール至上主義のバカ野郎

携帯電話の電話帳メモリーの中には相手のメールアドレスしか入っていない人が数名いる。
数名というほど少なくもない、特に20代女性に多い傾向にある。

先に断言しておく、僕は携帯電話でメール文章を作成することが
普通の人よりも非情に苦手で苦痛とストレスを感じる性格。
メールは断然、パソコンからきちんとイスに座って
デスクでしっかりと内容のあるものを送りたいと考えるタイプである。

いやね、携帯電話からメールすることも結構あるんです。
ただ、携帯メールでの会話というのがどうしても受け入れがたい。
特に、「今夜、食事でもどうですか?」などというのは
真昼間に送られても、電話着信優先の僕としては
気付くのは仕事がひと段落した19時くらいなので
すでに、その時間に合わせられずお断りするハメになることが多い。

たかがメール、されどメールと申されても
やっぱり、スピーディにその日のうちに緊急でアポを取るなら
電話にしてほしい、何もかも携帯メールで連絡されると
相手の状況が把握しにくいし、こっちの状況も伝えにくい。

会えて言おう、手軽な携帯メールよりも
まず自分の声で伝えてきてほしい。
それが成人同士の節度ある交流の仕方ではないかと思う。

2011年9月19日月曜日

マルク=シャガール

意外に思われることが多いけど秋になると、頻繁に美術館に通う僕なのである。

特にMarc Chagall マルク=シャガールの絵画が好きで
愛妻家であったことから、愛をテーマにした絵が好きだ。

去年の10月に県内の美術館で
シャガール展が開催されたので見に行ったが
また、県内でシャガール展が開催されることを願う。

久しぶりに、また美術館をブラブラと見て歩いて
太宰府天満宮とかも見て、小旅行にでも出かけてみるか。

源氏物語

ブログ繋がりで、ある女性ブロガーさんから
進められて、買って読んでみたこの本。

読めば読むほどに、そのときの捕らえ方が変わって
まさに、男性としての格式を深めるうえで
とてもよい本だと思いました。

僕が読んだのは、現代語訳の第一巻ですが
最終巻まで読んでみようと思います。

高校、大学と農業学一筋だったので
こういった、古典というものに縁がなかっただけに
新たな教養を身につけられそうで
久しぶりによい本と出合ったような気がします。

読書の秋、食欲よりも本の虫になるほうが
体にはとても良さそうです♪

2011年9月18日日曜日

無料オフィススイーツの新しい風

Open Office orgから独立派生した
新たな無料オフィススイーツを見つけた。
その名も、LibreOfficeである。
http://ja.libreoffice.org/

オープンオフィスオルグよりも
痒いところに手が届く感じで
日本語版においても、日本人の
要望にきちんと応えて、アップデートしている点で
とても使いやすいという印章。

2011年9月12日月曜日

農業の今を考える

一つの農家において、農業後継者を育成するためには
高級外車、新築のマイホーム、妻子と後継者の生活費が必要である。

これを聞くと驚かれるであろうが、これが日本の若き農業後継者の今、なのだ。
脈々と受け継がれてきた血による世襲制農業の腐敗は終盤に差し掛かっている。

野菜を作れば作るだけでお金になったバブル期に農業を経験した
団塊世代の親たちの次の世代である農業後継者たちは
裕福な子供時代を過ごし、危機管理能力を養うことなく
とりあえず、農業高校に進学し、さらに就職活動抜きの大学生活を送る。

4年間の大学生活の中で目一杯遊んだ果てに、22歳で農業後継者となる。
これが一般的な農業後継者の道筋である。
この後に、すぐにまずは決して20代前半では乗れない高級車を
親から支給され、それを餌に釣られて農業後継者となる。

結婚すれば、今度は親が息子夫婦のために敷地内に新築の家を建てて
息子夫婦に支給する。親のすねを齧り、自らの生活力の無いままに
結婚して子供を作り、高級車に新築マイホームを支給された後継者はこう考える。

「俺は自分の力ですべてを手に入れた!俺は次期社長だ!」

愚か者だ、失笑と言っても過言ではない。
日本の農業の後継者育成プロセスのこの部分に世界と競争できない
なんというか、突破できない限界を感じる。

オレゴン州で農業を営むアメリカ人の友人に日本の農業の現状を話すと
爆笑していた、日本は自ら餓死する道を選ぶのか?と。
欧米諸国では、家業が農業であろうと世襲というシステムがないそうだ。
後継者は実家以外の別の農園で住み込みで修行をし、お金を貯めて
父親から農園の土地や設備をローンで購入するというのだ。

これらを比較しても、日本の農業と後継者育成は
世界に100歩以上遅れをとっているように思える。

農家の長男に生まれたものが、決して経営者適性があるとは限らない。
この事実を日本の農業従事者は知るべきである。

2011年9月11日日曜日

ビジネスマンである前に僕は農業士なのかもしれない

真砂土が広がる土地を目の前に地面に指で文字を書き
計算を始める僕、この土地の泥質に対して
どの肥料がどれだけ必要なのか計算している。

野菜を栽培する仕事も経験した僕にとって
スーパーに売られている野菜の安全性はまったく信用していない。
なぜなら、害虫や病原菌の繁殖を許さない作物を作るという
コンセプトに基づいて、徹底的に薬剤処理を行って
あの光り輝く、おいしそうな野菜を作り上げるからだ。

作物の葉っぱの上を、害虫が散歩しようものなら
その虫たちは、その日のうちに即死する。
そういう農薬を大量に使っている。
浸透性農薬といい、細胞レベルにまで薬剤が染み込むので
洗っても無駄である。

人が育てる作物は全てにおいて、人が食べるべき為に存在する。
この歪んだ消費者の考え方から、国産農作物においても
基準値以上の農薬が使われ、検査など滅多に実施されることなく
発がん性物質や体に害を及ぼす化学物質を
消費者はダイレクトに体の中に取り込むようになっている。

それ故に、僕は自分で食べる野菜については
全て自分で栽培する。スーパーで買う野菜といえば
もやしくらいなものか・・・?
農業学の中でも、病害虫に対する薬剤の効力を
専門的に大学時代は研究してきたゆえに
農薬というものが、どれだけ危険なものか僕は知っているのだ。

そして、今年も秋野菜を作付する季節がやってきた。
大体、大根、ホウレンソウ、そら豆、チンゲン菜、小松菜、白ネギ
この辺りは、9月に種を蒔くといい。

土づくりができない人にといては、やせた土地ほどよく育つ
そら豆をたくさん作ってみるのもいい。少しの肥料でちゃんと実る。
これを塩ゆでにして食べれば、ちょうどいい酒のつまみになる。

こうして僕の行動を客観的に見てみると
やっぱりなんだかんだで、地元農業に対して批判的だけど
農業そのものはとても好きであることがわかる。
手をかければかけるほど、植物をその期待に応えてくれる。
こんな純朴な生き物を相手にするのも悪くない。

ただ、これを仕事として食っていくのは不可能。
日本ではもう農業をやるべきではないと断言できる。

2011年9月9日金曜日

秋野菜の栽培準備



このほかにも、白ネギの種も手に入れましたが
小松菜、青梗菜、ホウレンソウ、そら豆の種を買い揃えました。


特にそら豆は痩せた土地であればあるほど
よい作物が育つので、どこでも育てられるという点で
家庭菜園向きの作物ではないでしょうか。

豆類は根に根粒菌を作ってそれを栄養として使う能力があるため
基本的に肥料は必要ありません。

空気中の窒素を吸収して、根粒菌を自分で作り
それを肥料とするこの能力は素晴らしいですね♪

2011年9月7日水曜日

ミュージシャンからの手紙

3日前、郵便ポストを除いてみると
見慣れた文字で書かれた封筒が入っていた。
名前こそ出せないが、誰もが知っている
メジャーミュージシャンからの手紙だった。
こういった手紙のやり取りをもう19歳の時に
彼が無名だったころに知り合って以来、続けている。

走り続けて14年、彼は喉を傷めて
半年間の休養に入るとのことだった。
相方のリードヴォーカルのKも持病の腰痛が悪化したため
同じタイミングで休養に入るとのこと。

英雄、ヒーロー、すなわち何事もできる人間とはなにか?
それを教えてくれたのが、ヴォーカル&ギターを担当する
彼の姿を見て、思い知った。

輝けるヒーローというのは、汗ひとつかかず
何事にも動じずに、すべてを冷静沈着に行う人だったと思っていた。

だけど、彼がメジャーデビューを果たした記念ライブを観たとき
汗だくで喉を枯らしながら歌うその姿を見たときに
この姿こそが、英雄の姿だと思った。

汗にまみれ、シャツから汗が滴り
観客のために、前へ前へと必至に声を奏でる姿は
決して美しいものではなかったけど、かっこよかった。
あれから10年以上経つが、彼が歌う姿は
このときとまったく変わっていない。
そこが成功の秘訣なのかもしれない。

初心忘れるべからず、言うは易いが実行は難しい。
僕も肝に銘じていたいと思う。

一人の友人として、一人のファンとして嬉しいことがある。
僕の思いを綴った手紙の中の一文が
時々、彼らがリリースする曲の歌詞として採用されていること。

こんな僕の書くフレーズでも、彼らの心を打つものがあるって
実にうれしいことじゃないか。

2011年9月6日火曜日

古くなったノートパソコンを活用する

IT系の仕事をやっていると、割と使わなくなったパソコンを
引き上げてきます、しかも結構モノがいいのがあります。
今回は引き上げてきたパソコンの中でも
比較的高性能なものがあったので、Linux系OSの派生系である
ubuntu 11.04をインストールしてみました。
もちろん、このOSは無料。Windowsみたいに買わなくていいです。

Linuxと聞くと、コマンドプロントで操作するイメージがありますが
操作環境はWindowsとまったくかわりません。
そのうえ、Windows7のように、ハイスペックなパソコンは必要ありません。

こんなかんじに、グラフィカルなインターフェースになっております。

プリンタも普通に認識するし、ソフトウェアもかなり充実しております。
みなさんも、古くなったパソコンを再生させてはいかがでしょうか。

2011年9月4日日曜日

始まりも終わりも自分で決める人生(たび)

無知で未熟な僕は、25歳を過ぎたあたりから
ようやく、生きていくために必要な活用できる
自分自身の知識の少なさに気付き
何かひとつを深く掘り下げるよりも
浅く広く、日々の生活で役立つ知識を身につけようと
苦手なお勉強をするようになった。

同世代の優秀な人々が虎視眈々と
人的資本を活用して、老後の金融資本を増やすために
準備万端の状態にようやく、僕が始めたところで
何一つ変わらないと分かっていながらも
やらないより、やったほうがいいという
シンプルな自分の理論を現在も進行中。

20代で今よりも若かりしころ
30歳までに経営者になりたいという夢があった。
1年前倒しで、その夢を叶えたとき思ったことは
すべての夢というかゴールに
ゴールテープが張られ、拍手喝采で
そのゴールテープを切ることはできないということ。

その時に、自分に与えられた時間の中で
どれだけの小さな名もなきゴールにたどり着けるか?
それを前提に生きていこうと決めた。

足元には、偉大なゴールという答えの他に
たくさんの素晴らしいものが落ちていたけど
その中から、誰にも評価されない自分だけが
その輝きを知っている、小さなゴールという
それだけを拾い、次の小さなゴールを目指した。

小さなゴールを目指す中で
世間一般的に偉大なゴールと言われるものも
くぐったが、小さなゴールを目指すのも
大きく偉大なゴールを目指すのも
そこに注ぐ努力はなにも変わらないということを知った。

地位も名誉もお金も健康もあればあるだけ欲しい。
だけど、それ以上に本来の自分とは何なのか
それを見失わないで生きていきたい。

忙しない世の中の雑踏に流されず
心穏やかに健やかに日々を過ごしたいと
心の底から僕は願っている。

地位とお金を手に入れようとして、名誉と健康を諦めた。
名誉と健康を手に入れようとして、お金と地位を諦めた。
地位と名誉と健康と富は
同時に二つ以上、手に入らないってうまくできてる。

ならば、僕はこの中から健康だけ手に入れて
あとは何もいらない、生きてさえいれば
他人の言うところのちっぽけで簡単な僕の願いは
必ずこの手につかんでみせるから。

ここから、少し世の中に対する意見。
夢を持て、野心を胸に抱け!若いんだから!
そして、主従関係には徹底的に従え!
キャラクター的に僕には言いやすいのか
団塊世代のひとつ前の世代の方々に
酒場でよく絡まれて、説教がてら言われます。

地元に帰ってきたばかりのころは
結構まだこの悪しき風習が残っているのかと
絶望と落胆を繰り替えしたものですが
もういい加減なれましたよ。

世間知らずの20代前半のころに比べて
諦めるということを僕は学びました。
根拠なき集団の成す力で
とりあえず、自らの立場よりも下の連中は
洗いざらい支配したいという馬鹿げた風習も
この地に骨を埋めると決めたら
別にどうでもいいと思えるようになった。

夢、持ってますよ。人生の諸先輩方のような
ファンタジーな夢じゃなく、現実的な夢を。

野心、持ってますよ。
現に僕は今、いつか諸先輩方を
ハンティングすると頭を下げながらも思ってます。(微笑)
人生まで諸先輩方に押し付けられてたまるか。(微笑)

始まりも終わりも、自分で決める。
今は進んでいると思えることだけが
唯一の確かなことだけどね。