2011年11月17日木曜日

農業後継者たちよ、親の資産を食いつく暇はもうないぞ

所謂、就職活動戦争から敵前逃亡した若い世代が
地元農業の後継者として就農しているわけだが
彼らのブログを見ると、筆舌に尽くしがたい感情を抱えてしまう。

TPPへの積極的な加盟が検討されている中で
日本農業を丸裸にし、自らの生きる糧を半壊されられかねない
この事態に、まったく触れている後継者がいなかったことに
私はもはやこれからの農業という産業は衰退の一歩を
たどる以外に道はないと確信し、非常に残念である。

もともと競争力のない農業従事者、世界との競争に勝てないのなら
それはもう、産業の消滅というシナリオも致し方ないと思う。

しかし、私は微力ながら、なぜ国内農産業を失ってはいけないのか
一般消費者に分かりやすいように説明したいと思う。

まず以下の写真をみてほしい。
















これはチンゲンサイで、よくこのように綺麗な状態で店頭に出されていると思う。
これ、完全な化学肥料と農薬漬けで育て上げたチンゲンサイだ。

次にこれを見てほしい。

















次にこれ、同じチンゲンサイです。
わざと無農薬で、完全有機肥料で育てました。
本来は、これにもっと手を入れてこのように虫に食われないようにするのですが
自然そのままに、あるがままに育てば野菜というのはこういう風に育ちます。
これを、無農薬有機肥料栽培で虫に食べられないようにするのが
所謂、日本農業が培ってきた技術なのです。

今、この日本が誇る農業技術が失われようとしています。
巷には輸入された、効率よく化学肥料と農薬で汚染された
野菜が市場をひしめくことでしょう。

その汚染と侵略を水際で防ぐ任務こそが
若き日本の農業後継者の双肩にかかっているのだが
「今日も○○会で酒をたらふく飲んできました♪」
「今日は○○会でゴルフコンペに参加してきました♪」
などのエントリーがひしめく後継者の思考で
はたして、日本が誇る食の安全が守れるか・・・?

答えはもうすでに明白である。
親のスネをかじる暇があったら・・・もっと男としてやるべきことがあるのではないか?
なぁ・・・?若き農業後継者たちよ。

2011年10月16日日曜日

祖父との時間

神戸の祖父のところにやっかいになって、今日で六日目。
今まで、祖父が福岡の本家へ尋ねてくるばかりで17年ぶりに
この地に赴いたわけだが、様々な幼いころの記憶が蘇える。

幼いころ、一家で神戸に出向いていたころ
祖父は商社を経営していたせいか
いつも仕事でいなかった。母と祖母と妹とショッピングに出かけるのが常。
そんな祖父がいつも寂しそうにしていたことを
子供ながらにきちんと覚えている。

そして今、取締役会長になってから最前線を退き
悠々自適な暮らしをしているなか、僕がやってきたわけだが
祖父と一緒に食事をして、酒を飲み交わし
思い出話に花を咲かせて、時に経営者の先輩としてアドバイスを受ける毎日。
祖父の車を運転して、いろいろなところに連れまわしているせいか
最近、お疲れのようである。(汗)

今は亡き祖母が健在だったころに来ていればもっと良かったと後悔の念もある。

2011年9月28日水曜日

俺のヒーロー

我こそはと、胸張って言うが
父親こそが目指すべき男であり
超えるべき唯一の対象であり
ガキのころから、俺のヒーローなのだ。

周囲の親父世代の人たちからは
お前の親父はどうのこうのと
言われるが、息子の俺にとって
それはもっとも頼もしく
ただひたすら、家族を支えてきた男。

顔が広いわけでもない
どこぞのお偉いさんたちとの人脈を持っているわけでもない。
人のためにならないことはしないし関わらないと
無意味に群れることもなく、人付き合いも苦手な父。

俺の一番古い記憶が2歳の時なのだが
冬の時期に、俺を抱き上げ
農作業で石のようにゴツゴツして、ひび割れた手で
俺の顔を撫でくりまわし、それが痛くて泣いた記憶。

思えば、なんと逞しく偉大な手だろうと思う。
今の俺は当時の親父よりも年を重ねているが
自分の手を見ての、何一つ苦労することなく
メシを食い、湯に浸かり、温かい布団で眠り
高校大学まで行かせてもらっただけのことはある
苦労知らずのきれいな手をしている。

こんなことは父のまでは何一つ思っているような素振りはしないが
32歳になっても、俺のヒーローは親父なんだ。
なんか文句あるか?

2011年9月27日火曜日

男女の関係は掛け算

私事のエントリーで大変恐縮で、自分の恥を晒すようですが
過去の恋愛遍歴を振り返ってみると
通り過ぎて行った恋人たちと、足し算引き算の関係しか
築けていなかったように、今は思う。

10代後半から20代前半までは
年上の恋人に甘え、依存して
相手の資質や性格を理解せずに
年上の恋人は僕のそんな部分にヤキモキして
互いに足し算と引き算の恋愛しかできず
恋という素晴らしいステージ中で
互いの資源というか、人間性を膨らませ磨くことが出来なかった。

20代後半から現在に至っては
もう自分は大人なんだからと、自立を重視し
相手に合わせ、相手を不快な思いをさせまいと
相手に対して、積み重ねて積み重ねて
積み木を積み上げるように足し算の関係でしかなかった。
ただ、頭上高く一列に積み上げたものは非情に脆いものだった。

そんな浅はかな恋しかして来なかっただけに
今だに独身であることも、致し方ない。
結婚していたとしても、離婚という恥の上塗りをしていたに違いない。

恋や愛というのは、お互いの足りないものを補うのではなく
お互いが持っている良さや魅力、そして与えられる幸せを
掛け合わせて磨き上げ、2倍にも10倍にも素晴らしいものであると
改めて、今思う。

今後はそのような関係を築ける女性と出会える努力を
僕自身していきたいなと思う。

好きなだけでは乗り越えられなかった何かが
今やっと分かったと思う。

携帯メール至上主義のバカ野郎

携帯電話の電話帳メモリーの中には相手のメールアドレスしか入っていない人が数名いる。
数名というほど少なくもない、特に20代女性に多い傾向にある。

先に断言しておく、僕は携帯電話でメール文章を作成することが
普通の人よりも非情に苦手で苦痛とストレスを感じる性格。
メールは断然、パソコンからきちんとイスに座って
デスクでしっかりと内容のあるものを送りたいと考えるタイプである。

いやね、携帯電話からメールすることも結構あるんです。
ただ、携帯メールでの会話というのがどうしても受け入れがたい。
特に、「今夜、食事でもどうですか?」などというのは
真昼間に送られても、電話着信優先の僕としては
気付くのは仕事がひと段落した19時くらいなので
すでに、その時間に合わせられずお断りするハメになることが多い。

たかがメール、されどメールと申されても
やっぱり、スピーディにその日のうちに緊急でアポを取るなら
電話にしてほしい、何もかも携帯メールで連絡されると
相手の状況が把握しにくいし、こっちの状況も伝えにくい。

会えて言おう、手軽な携帯メールよりも
まず自分の声で伝えてきてほしい。
それが成人同士の節度ある交流の仕方ではないかと思う。

2011年9月19日月曜日

マルク=シャガール

意外に思われることが多いけど秋になると、頻繁に美術館に通う僕なのである。

特にMarc Chagall マルク=シャガールの絵画が好きで
愛妻家であったことから、愛をテーマにした絵が好きだ。

去年の10月に県内の美術館で
シャガール展が開催されたので見に行ったが
また、県内でシャガール展が開催されることを願う。

久しぶりに、また美術館をブラブラと見て歩いて
太宰府天満宮とかも見て、小旅行にでも出かけてみるか。

源氏物語

ブログ繋がりで、ある女性ブロガーさんから
進められて、買って読んでみたこの本。

読めば読むほどに、そのときの捕らえ方が変わって
まさに、男性としての格式を深めるうえで
とてもよい本だと思いました。

僕が読んだのは、現代語訳の第一巻ですが
最終巻まで読んでみようと思います。

高校、大学と農業学一筋だったので
こういった、古典というものに縁がなかっただけに
新たな教養を身につけられそうで
久しぶりによい本と出合ったような気がします。

読書の秋、食欲よりも本の虫になるほうが
体にはとても良さそうです♪