2011年8月26日金曜日

黒いi tunes songbird

IT系の仕事をしているので、ちょっとパソコンの
便利なソフトウェアの紹介でも。

黒いi tunesとの異名を持つソフトウェア
それがsongbirdだ。

i Tunesの基本性能を備えつつも
動作が非常に軽やかで
uiもカスタマイズできるという作りこみ。

もちろん、アップル製品との同期も可能で
この先が楽しみなソフトウェアだ。

僕はこれをメインのミュージックプレイヤーとして使っているよ。

2011年8月24日水曜日

夏風邪のバカ野郎

滅多に風邪を引かないのに、引いてしまいました、夏風邪。

この夏風邪というのはしつこいですね・・・。
かれこれ2週間以上、完治しません。

ひまわりも夏の終わりを感じたのか
俯き始めたので、季節が変わるまでにはなんとかしたい。

夏が過ぎれば、すぐに僕の好きな木枯らしの季節が来る。
待ち遠しいな~。

2011年8月18日木曜日

猫との暮らし

仔猫クルトを拾って一カ月半が経過しました。
そして感じた、猫のいる暮らしの癒し。
飼い主たる主人に従うわけでもなく、自由奔放な猫。
人間が寝るころに、どたばたと気まぐれに遊び始める猫。
つんつんしているのかと思えば、喉をゴロゴロと鳴らして
甘えてすり寄ってくるのも猫。
この野性的で気まぐれな予測不可能な行動にツボりました!
でも、名前を呼ぶと「にゃぁ」とお返事するところも
かわいいし、最近は表情や行動や鳴き声で
猫の気持ちがなんだか分かるようになってきました。
クルトは目の前でほかの猫をかわいがるとすごく怒ります。
ものすごく、冷たく軽蔑のまなざしを向けます。(苦笑)
そんな飼い主の愛情を独占したいクルトがまたかわいい!
 
 

2011年8月13日土曜日

葉巻を嗜む

普段は紙巻きたばこの僕も、ゆっくり時間を取れるときは
葉巻をウイスキーとともに嗜む。

法的に黒だが、高校卒業後に父に連れられて行った
シガーバーが、僕と葉巻の最初の出会いだった。

「一人前の男になるなら、こういう店も知っておけ!」

父は18歳になり大学進学を前に控えた僕に、誇らしげに語った。
葉巻、すなわちシガーはたばこの中の貴族であると。

何も知らない僕にバーテンダーが勧めてくれた葉巻は
コイーバ シグロ6 チューブという高級な葉巻だった。

コイーバ シグロ6  一本4000円程度

この一本とともに出された、グレンフィディック12年とともに
慣れない煙になれないウイスキーに完全にやられてしまった。
これ一本でだいたい1時間から2時間は楽しめる。
故に葉巻は、煙を吸い込まずに口の中に含み、味と香りを楽しんで
ふかし、一服一服を大切に味わい尽くす。

あえて言おう、葉巻は紳士の嗜みである。
時々見かけるが、商談中に喫す会社社長や
フレンチレストランなどで、周囲の料理の進み具合いも考えず
葉巻を吹かす人を見かけるが、これはとても恥ずかしいこと。
欧米であれば、軽蔑されてもおかしくない行為だろう。

14年葉巻と付き合ってきて、思うことは
葉巻はいつ喫すかではなく、どこで喫すであると考える。
僕は基本的に、自宅かシガーバーでしかやらない。

やはり、葉巻は口にくわえるだけで威圧感を与えることから
人前で喫すことはどうしても憚られる・・・。
そして、葉巻の煙は周囲の影響力が強すぎるため
どこででも喫すことができるものではないなと感じる。

それゆえに、今、自室のお気に入りのプレジデントチェアーに身をゆだね
似合わないが、大好きなアイラモルトのブリックラディを傾けながら
コイーバ シグロ6 を楽しんでいる。実に至福のひとときだ。

2011年8月12日金曜日

ラジオの良さ

長い一人暮らし経験の中で、ラジオはいつも傍らに置いている。
最近買った、今のラジオで何台目だろうか?
1万円以下で安いのから高いのまでいろいろ使ったが
今のソニー社製の日本製のラジオが一番いい。

インターネットとラジオを情報源とするようになって
テレビをほとんど観なくなった。
テレビはDVDを映し出すだけのものになってしまった。

なんといっても、ラジオは一人暮らしで
普段話し相手が居ないものに語りかけてくれるところがいい。
僕はFM派だけど、DJのトークとトークの間に
古今東西の音楽が流れ、時々投稿したコメントなんかも
好きなDJに読んでもらえるとすごく嬉しい。

最近はLOVE FMの月下虫音という深夜の番組がお気に入りで
主に昆虫の話題を中心に番組が構成されているが
昆虫が苦手な僕でも、ラジオを聞きながら
知らない昆虫の名前が出てくると、インターネットで検索してしまうくらいだ。

http://lovefm.co.jp/program/w_programs.php?programid=172
↑月下虫音のサイト

この夏、初めてのカブトムシ発見!

夜、自宅マンションに帰宅したら
玄関先の木に、♂のカブトムシが居ました。
夏と言えば、やっぱり一度はみたいカブトムシ。

そういえば、カブトムシとクワガタムシは
なんで、クワガタムシのほうが長生きするんだろうね?

2011年8月11日木曜日

クルトの猫エイズ・白血病検査

本日、クルトの猫エイズ・白血病の検査をしてきましたが
見事に陰性でした。これでまた一安心です。
一週間後には2回目のワクチン接種。

これが終われば、あとばダニノミ駆除予防だけしていけばいいので
健康に健やかに僕の相棒として生きてくれたらいいなと思います。

体重は前回より300グラム増えて1500グラム。
ずいぶんとしっかりとした体つきになってきました。

2011年8月2日火曜日

生きていくほどに素直な気持ちが・・・

なんと意味深なタイトルでしょう。(笑)

でも、長い一瞬のこの時間を過ごしてきて
ようやく気付くこともある。

もうずっと続けているライフログの昔のもので
10年前の22歳の今日のライフログを読み返してみた。
冊数が膨大で、結構探すの大変でした。

昔の経験に足をとられすぎて、在りもしない壁を
この10年随分と作って来たもんだなと思う。

経験は成長するための糧とか言われるけど
特に苦い経験を良い方向に活用していない自分に気付く。
結果として、それはいろいろリスクを回避しているので
表面上はよい方向に向かっているとしても
俺が成りたかった大人って今の俺みたいなヤツだったっけ?
過去に自ら記録したメモを読み返してみて
それは今とは全く違う場所を目指していたと気付かされる。

妥協、逃げ、リスク回避、安定、詰まるところのいろいろなことを
途中でいくつもの諦めと逃げを重ねて出来上がった存在が
今の自分だ。これが大人になるということだとよく分かっている。
不健全な利己主義、俺もそう、お前もそう、みんなそう、同じだよ。
今は自分の身を立てていくことだけ精一杯さ、だから仕方ねぇ。

20代前半の頃に頭に血が登るほどに嫌いだったフレーズを
今の俺は、心の奥底で誰にも気付かれないように
身を潜めて呟いている。俺だって大変なんだよ。そんな言い訳とともに。

生きていくほどに、素直な気持ちは忘れ去り
上手に生きていく術ばかりを覚えている。
慎重に石橋を杖で叩いてゆっくり歩く俺の足は
走ることも高く飛び立つことも忘れている。
そう、助走をつけて前だけを見据えて思いっきり走り
ジャンプすることはハイリスクハイリターン
大きな跳躍をすることは、とても危険で非論理的だといつの間にか覚えた。

失われた10年真っ只中を20代で過ごしたと言われる俺たちだけど
本当は自分自身がこの10年という時間を失ってきたのかもしれない。
昔は今よりも何も持っていなくて、お金もなくて
闇の中、先も分からない道を手探り歩く日々だったけど
そのころにはもっと確かなものを自分の手に握り締めていた。

これから先の10年をまた同じように生きていくか?自問自答。
その答えはまだ見つからない・・・。
ただ、今気付いたからこそ、若き自分が目指したものに
また近付けたらいいな・・・。

明日を水平線の向こう側に浮かべて、寝静まる町の夜を
ベランダから眺めても、いつもと同じ景色なのに
ブログを書きながら、ふと眺めた景色は少しだけ
わくわくするような、心が踊るような、少しエキサイティングな
景色に俺の目には映った。

22歳の俺が今の俺を見たらこう言うだろうね。

「きれいな物ばかり並べて、お前楽しいか?」

2011年8月1日月曜日

人生を記録するということ

基本的に当日の朝飯に何を食ったか思い出すことすら
面倒くさいというか、思い出せなかったりする僕は
その日に起こった事実を情報として一元化して
一冊のノートに記録している。
特に決まりはなく、起こった事、感じた事、結果などを書く。

ルールなどなく、買い物のときにもらうレシートや
映画やミュージカルのチケットの半券とともに
その映画を一緒に観たメンバーリストや
様々な事象に対してどう感じたかをただ書き記す。

この作業の中で、僕が一番大切にしているのは
書き記すことよりも、読み返すことである。
ただ、なんとなく読み返して、目に留まったことだけ
深く読み返すということ。どこに何が書いてあるか覚える必要はない。

人間というのは、どこまで行っても過ちを繰り返すものだと思う。
人には様々な窓があって、生きているうちに
一度も使うことのない窓もあれば、ふとしたことがきっかけで
使ってしまう窓、この窓は開いてはいけないと
自分でわかっていても、何度も使う窓まで存在する。

特に僕の場合、自分で使ってはいけないと自分が一番知っているのに
まるで使い慣れたかのように使用する窓がいくつかあって
この窓を使うと、さまざまなトラブルが発生するパターンが多い。

ここ数年、そろそろいい歳になってきたせいもあるのか
かなり気をつけて、使ってはいけないと知っている窓を
開きそうになると、開かないようにすることができるようになったが
それでも、感情に任せて内面の窓を開いてしまうことがある。

そういう、ネガティブな事実すらノートに敢えて書き記すことで
どういう状況でどういう行動を起こすのか
客観的にわかるようになってきた。
これは、ノートの冊数が増えるたびに
読み返すたびに、気をつけるようになるように思う。
それでも人間、それがまったくのゼロになることはない。

こういう深層心理というか人の本音の部分では
みんな同じようなものを持っているのではないかと思う。
その存在すら自分で認めたくない心にある窓、誰もが持っているはず。
それは人に気づかれるより先に、自分で知っておくべきだと思う。

もちろん、そういうネガティブなことばかりで埋め尽くされるのではなく
このノートには、いろいろな楽しかった事実もあるわけで
あくまで、起こった過去を常に記録しておくことに意味がある。
書くことすら憚られる事実も年に一度か二度あるが
そこも逃げずに書くことを大切にしている。
前提として、自分以外の他人が見ることがないというのがあるので・・・。

スケジューリングも大事だといわれるが、起こった事実を
きちんと記録しておくことも同じように大切にしている。
予定よりも、やはり結果や事実が自分にとって本当に意味があるから。